前回記事で書いた内容に引き続き、CMP関連で公開訳のある特許明細書を使い、英語から日本語への翻訳学習をしています。
CMP用組成物ということで化学がメインの特許だと思って読み始めたのですが、【発明の背景】のところは半導体メモリに関する知識がないとうまく訳せず、現に公開訳も少し変な訳になっていました。
以下に、原文、公開訳、試訳(公開訳をもとに自分で書き直した訳)を示しながら、公開訳の気になった点を取り上げます。
目次
原文・公開訳・試訳
【原文】
Typical solid state memory devices (dynamic random access memory (DRAM), static random access memory (SRAM), erasable programmable read only memory (EPROM), and electrically erasable programmable read only memory (EEPROM)) employ micro-electronic circuit elements for each memory bit in memory applications.
Since one or more electronic circuit elements are required for each memory bit, these devices consume considerable chip space to store information, limiting chip density.
For typical non- volatile memory elements (like EEPROM i.e. “flash” memory), floating gate field effect transistors are employed as the data storage device.
These devices hold a charge on the gate of the field effect transistor to store each memory bit and have limited re-pro grammability.
They are also slow to program.
【公開訳】
典型的な固相メモリーデバイスであるダイナミックランダムアクセスメモリー(DRAM)、スタティックランダムアクセスメモリー(SRAM)、消去及びプログラム可能な読み取り専用メモリー(EPROM)、そして電気的に消去及びプログラム可能な読み取り専用メモリー(FEPROM)は、メモリーの用途において、それぞれのメモリービットについて微細電子回路素子を使用している。
これらのデバイスにおいては、それぞれのメモリービットでは1個もしくはそれ以上の電子回路素子が必要とされるため、情報の蓄積のためにかなり大きなチップスペースを消費することとなり、チップ密度が制限されてしまう。
典型的な不揮発メモリー素子(例えば、FEPROM、すなわち、「フラッシュ」メモリー)の場合、フローティングゲート電界効果トランジスタがデータ蓄積デバイスとして使用されている。
これらのデバイスは、電界効果トランジスタのゲートで電荷を保持してそれぞれのメモリービットを蓄積するものであり、有限の再プログラム可能性を有している。
また、これらのデバイスは、プログラムの作成が低速である。
【試訳】
代表的な半導体記憶装置であるダイナミックランダムアクセスメモリー(DRAM)、スタティックランダムアクセスメモリー(SRAM)、消去及びプログラム可能な読み取り専用メモリー(EPROM)、電気的に消去及びプログラム可能な読み取り専用メモリー(EEPROM)は、メモリーの用途で、各メモリービットにマイクロエレクトロニクス素子を用いている。
各メモリービットでは1つまたは複数の電子回路素子が必要とされるため、これらのデバイスは情報の蓄積のためにかなり大きなチップ面積を消費することとなり、チップ密度が制限されてしまう。
代表的な不揮発性メモリー素子(例えばEEPROMすなわち、「フラッシュ」メモリー)の場合、浮遊ゲート電界効果トランジスタがデータ蓄積デバイスとして使用されている。
これらのデバイスは、各メモリービットを記憶するために電界効果トランジスタのゲートで電荷を保持するものであり、データの書き換え可能回数が限られる。
また、これらのデバイスは、データ書き込み速度が遅い。
太字にした部分が公開訳で特に気になって訳を再考してみた箇所です。
それぞれについて、なぜ試訳のようにしたのかを以下に説明します。
“solid state memory devices” の訳について
“solid state memory devices” という語について、公開訳では「固相メモリーデバイス」と訳しています。
しかし、この言葉は目にしたことがありません。
私が知らないだけかもしれないので念のためGoogle検索しましたがヒットしませんでした。
solid stateの本来の意味は確かに「固体状態」ですが、トランジスタやダイオードなどの半導体素子のことを、それらが生まれる以前の真空管と対比で使われるようになった経緯があるようです。
空間を利用した真空管に対して、半導体は固体自体の電子現象を利用しているという意味です。
後の文章に”DRAM”、”SRAM”などの具体的な名前が出ているので、これをヒントに調べれば「半導体記憶装置」という語にはすぐにたどり着けます。
そのままカタカナ表記にしてもよいかもしれませんが、特許庁DBで使用例を検索したところ「半導体記憶装置」という語の用例が圧倒的に多かったので、試訳ではこれを採用しました。
EEPROMをFEPROMに訂正?
原文に2か所出てくる “ EEPROM” は、なぜか公開訳では「FEPROM」になっています。
最初はタイプミスか何かかな、と思ったのですが、2か所とも同じ処理をしているので訳者の意図的な変更のようです。
“electrically erasable programmable read only memory(EEPROM)”と書いてあるので、
素直に読んで頭文字を取ったものだと分かりますし、Google検索すればすぐに出てきます。
なぜわざわざEからFに変えたのかを考えてみたのですが、おそらく2回目に出てくる、
For typical non- volatile memory elements (like EEPROM i.e. “flash” memory),
という文章から「FEPROM」という語を導き出して、1回目の方にも当てはめたのだと思います。
括弧の部分は公開訳の通り、
例えば、FEPROM、すなわち、「フラッシュ」メモリー
と訳せると思います。
そこで、上記の文に原文通りにEEPROMを当てはめると、EEPROM=「フラッシュ」メモリということになります。
ここでflashにクオーテーションマークがついているのがポイントで、正確にはEEPROMとフラッシュメモリはイコールではありません。
そのため、公開訳では原文が間違っている、あるいは文字化けである、と考えて訂正したのかなと推測しました。
ただ、原文ではflashが特別な意味であることを示していますので、原文のままでも「EEPROM=フラッシュメモリ」と言っているわけではなく、世間でよく知られているフラッシュメモリの仲間ですよ、というくらいの意味ではないかと思います。
EEPROMとフラッシュメモリはいずれも動作原理に浮遊ゲート(フローティングゲート)トランジスタを利用しているという点では共通しています。
ここで浮遊ゲート電界効果トランジスタの動作原理を確認しておきましょう。
浮遊ゲート電界効果トランジスタの動作原理
浮遊ゲート電界効果トランジスタの構造は次のようになっています。
- 基板:
シリコンなどの半導体材料で作られた土台部分です。 - ソースとドレイン:
基板上に形成された電流の出入口です。
ソースとドレインの間を結ぶチャネルと呼ばれる経路を電流が流れます。 - トンネル酸化膜:
基板上の薄い酸化膜で、高電圧では電気を通すものの数ボルト以下の低電圧では電気を通さないという特徴があります。 - フローティングゲート(浮遊ゲート):
絶縁層の上に形成された導電性の層で、周囲を絶縁膜で囲まれており、ここに電子を蓄積することでデータを記憶します。 - コントロールゲート(制御ゲート):
浮遊ゲートの上にある導電性の層で、トランジスタの動作を制御します。 - ゲート絶縁膜:
浮遊ゲートと制御ゲートの間にある薄い絶縁層です。
書き込み時:
フローティングゲートと基板の間にはトンネル酸化膜があり、通常は絶縁膜として機能します。しかし、コントロールゲート側に高電圧を印加するとトンネル酸化膜は電気を通すようになり、チャネルを流れる電子がフローティングゲートに集まってきます。
一度フローティングゲートの中に入った電子はトンネル酸化膜によって周囲と絶縁状態になるため、電源を切っても外に逃げ出さずに保持されます。
消去時:
消去時は逆に基板側に高電圧を印加することで、フローティングゲートから電子を基板側に逃がします。
読み取り時:
読み取り時は基板のソースからドレインに向かって電流を流しますが、その際にフローティングゲートに電子が保持されていると電流は電子の方に引き付けられてしまい、うまくドレイン側に流れません。
このときの情報を「0」と判断します。
反対に、フローティングゲートに電子がなければ、ソース-ドレイン間の電流は流れやすくなります。
このときの情報を「1」と判断します。
このような方法で検出される「0」と「1」の組み合わせで、書き込みされた情報が読み取られます。
このように電気的な手段で情報を書き込み・消去するため、“electrically erasable programmable” という名付けられています。
では、EEPROMとフラッシュメモリの違いは何かというと、
EEPROMは1バイトごとにしか書き込み・消去できないのに対し、
フラッシュメモリは複数のブロックをまとめて書き込み・消去できる、というものです。
ただし、どちらも基本的な動作原理は同じであるため、明細書ではEEPROMをいわゆる「フラッシュ」メモリとして挙げたのではないかと思います。
“employ micro-electronic circuit elements for each memory bit” の訳
【原文】
employ micro-electronic circuit elements for each memory bit
の訳を、公開訳では、
【公開訳】
メモリーの用途において、それぞれのメモリービットについて微細電子回路素子を使用している
としています。
これはどういうことを意味しているのかを考えてみます。
浮遊ゲートトランジスタの動作原理のところで書いた通り、
半導体記憶装置では電流が流れるかどうかによって「0」か「1」かの情報を判別しています
この「0」か「1」か、で表される値はコンピュータが処理する情報の最小単位であり、ビットと呼ばれます。半導体記憶装置の動作原理では、個々のビットを表現するためにコンデンサなどの素子を使用しています。
“application” は状況に応じて様々な訳が考えられますが、「何かを特定の目的のために使用する」というのが基本の意味です。
この明細書の文脈だと、
電子回路素子はセンサーだったりプリンタだったりと様々な用途に使えるけれども、その中で特に記憶装置として活用する、ということかと思います。
また、“micro-electronic circuit elements” については、公開訳のままでもよいかと思いますが、特許庁DB、Google検索ともに「マイクロエレクトロニクス素子」という語の使用例が最も多く見られました。
以上を踏まえ、試訳では以下のようにしてみました。
【試訳】
代表的な半導体記憶装置である・・・は、メモリの用途で、各メモリービットにマイクロエレクトロニクス素子を用いている。
“have limited re-pro grammability” の訳
次に4段落目の次の文を見てみます。
【原文】
These devices hold a charge on the gate of the field effect transistor to store each memory bit and have limited re-pro grammability.
この “have limited re-pro grammability” の部分を、公開訳では、
【公開訳】
有限の再プログラム可能性を有している。
と訳しています。
これはいかにも直訳調で、日本語になっていないような気がします。
ここでいう “re-pro grammability” は、書き込んだデータを消去してまた別のデータを書き込める、ということだと考えられます。
そして、そのような操作は永遠にできるわけではなく制限がある、という意味になります。
フラッシュメモリは確かに書き込んだ内容を消去して再書き込みすることができますが、再書き込みの処理では高電圧を加える必要があるため、何度も繰り返すと材料が劣化してリーク電流が生じ、読み取りできなくなってしまいます。
そのため、“limited” という表現になると考えられます。
よって試訳では、
【試訳】
データの書き換え可能回数が限られる
としました。
“slow to program”の訳
原文の、
【原文】
They are also slow to program.
を公開訳では、
【公開訳】
また、これらのデバイスは、プログラムの作成が低速である。
としていますが、「プログラムの作成」というのが引っ掛かります。
「プログラムの作成」というと、普通はソフトウェアの開発をイメージするのではないかと思います。
しかし、 “electrically erasable programmable” という表現が出てきたように、
この文脈では “erase” (データを消去する)との対比で “program” という言葉が登場しているので、「データを書き込む」という意味になると考えられます。
よって試訳は、
【試訳】
また、これらのデバイスはデータ書き込み速度が遅い。
としました。
まとめ
いつも講座で言われていることですが、
技術的な背景を理解していなければきちんと訳せない、
ということが対訳学習を始めてみてよく分かりました。
他の方の訳文を見ると気になる点は色々出てきますが、
比較対象が無い中で、
限られた時間の中で、
自分がこれを上回る訳ができるだろうか?
と考えてみると、現状ではまだまだ厳しいです。
今回取り上げた箇所は2日がかりで考えてしまいましたが、実務ではそんなに時間はかけられません。
じっくり技術的な背景を理解することは大切にしないといけませんが、まずは量をやって自分の中の引き出しを増やすことも大事なので、もっと学習ペースを上げていきます。
今取り組んでいる明細書は土曜日中に確認を終える予定です。
9/3(火)学習時間:4.75H
・橋本の物理(39)
・半導体記憶装置について
9/4(水)学習時間:7.75H
・橋本の物理(40)(41)
・対訳学習(CMP関連特許:背景技術)
・3619 公開訳を信じるな
9/5(木)学習時間:6.25H
・橋本の物理(42)
・対訳学習(CMP関連特許:背景技術続き)
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